2004年11月24日

商道徳について

【商道徳について】(私たちの師としている人たち)

▽渋沢栄一
渋沢栄一がかつて大蔵省をやめて第一国立銀行を立ち上げ「地位や名誉より金が欲しいからか」
と批判する声がありましたが、これに対し、渋沢は次のように反論しています。
「私に能力があると見てくださることは誠にありがたいが、もし能力があるとすれば、なおさら
官界を去らねばなりません。もし、人材がみな官界に集まり、才能なき者ばかりが民業にたずさ
わるとしたら、どうして一国の健全な発展が望めましょう。
はばかりながら言わせてもらえば、官史は凡庸の者でも勤まりますが、商工業者は相当に才覚の
ある者でなければ勤まりません。ところが、今日の商工業者にいまだ力のある者がそうはいない。
士農工商という階級思想の名残で、官にあることは光栄に思うが、民にあることは屈辱に感じる。
この誤った考えを一掃することが急務です。
それにはまず商工業者の実力を養い、その地位と品位を向上させることが第一です。
彼らの社会の上位に位させ、”徳義を具現する者こそ商工業者だ”という域にまでもっていかな
ければなりません。この大目的のために精進するのは、いわば男子の本懐です。」

▽住友政友
江戸時代初期に住友家の「家祖」と呼ばれる住友政友という方が子孫に当てた手紙では、商売の
心得が箇条書きに書かれており、その第一には、「相場より安い品物を持ってこられてもその背
景がはっきりしないものは、盗品の可能性もあるから、決して買ってはならない」と書かれてい
るそうです。
こうした政友の教えは明治24年に制定された「住友家法」に受け継がれ、その第1章第1条に
は、「我が営業は信用を重んじ・・・」とあり、第2条には「浮利を追わず」という趣旨が書か
れています。

▽福沢諭吉
「身には前垂れを纏うとも、心には兜をつけよ」

▽日比翁助(1860-1931)
明治中期、近代化が進むご時世ながら、商業は江戸期以来のままで、老舗の三井呉服店でさえ
経営悪化に苦しんでいた。その再建を一人のサムライ魂を持つ 男が任される。士族出身の銀行員
・日比翁助(1860-1931)。日比は呉服店の再建にとどまらず、欧米に誕生していた「デパート」
に再生することを 決意。改革に乗り出す。
日比が拠り所としたのは「“利”より”義”を重んずる武士の魂」で「才知ある商売」を行う「
士魂商才」の思想。
日比はまず、商業倫理が衰退した業界に、「義」という武士的倫理観を持ち込み、客のための商
売、という商道徳の再構築をはかる。
さらに西洋の一流の百貨を庶民に啓蒙することを目指して、呉服店をデパートに転換。
そこで赤字覚悟で博覧会や美術展などの文化事業を積極的に実施した。
日比は商いを通じ国家・社会に貢献するという、「公」の精神を体現しようとしていたのだ。
この日比の方針は、守旧派の抵抗や批判を受けながらも、日露戦争後の産業発展に伴い急増した
大都市の中・上流層のニーズと合致し、改革開始から十年後の「近代的デパートの開店」により
結実する。

▽ ソニー(東京通信工業 設立趣意書より一部抜粋)
・不当なる儲け主義を廃し、実質的な活動に重点を置き、やたらに規模の拡大を追わず

投稿者higo:2004年11月24日 17:52

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.higobussan.co.jp/mt/mt-tb.cgi/537